ネットで飛び交う「川口の治安」論争
最近、SNS上で「川口の治安は悪くない」と発言した芸能人が炎上している。
「来たこともないくせに」「知らないなら黙ってろ」といった強い言葉が飛び交っているが、はたしてこの議論、建設的だろうか。
「川口の治安は悪くなった」と信じている人と、「そうではない」と擁護する人が、互いにネット上で批判し合っている。
けれど、どちらの立場の人も、実際に川口に住んだことがあるのだろうか?
その問いを抜きにして交わされる言葉の応酬は、空中戦にしか見えない。
私は53年間、川口に住んでいる
川口生まれ川口育ち、53年間ずっと西口近くに住んでいる。
この街がどう変わってきたか、肌で感じながら生きてきたつもりだ。
その立場から言わせてもらえば、「治安が悪くなった」「悪くなっていない」といった単純な言葉で語れる問題ではないと感じている。
昔も治安は良くなかった――けれど、今とは質が違う
80年代〜90年代、川口には暴走族が跋扈し、夜中に爆音を鳴らしていた。
西川口駅周辺には風俗街もあり、夜は近寄らない方がいいと言われる地域もあった。
つまり、川口が“昔は安全だった”という認識は事実とは少し違う。
ただし、ここで誤解してほしくない。
昔も悪かったんだから、今も同じでしょ?――そういう論法は通用しない。
今感じる“治安の悪さ”は、性質が違うのだ。
今感じるのは、“生活の中でしかわからない種類の不安”
最近の川口で感じる不安は、暴力事件でもなければ派手な犯罪でもない。
もっと小さくて、もっと地味で、だからこそ根深い。
たとえば、決められた曜日に出されないゴミ、深夜まで続く騒音、路上でのたむろ。
こうした行動は、法律違反ではないかもしれないが、「ルールを守る意識がない人が増えているのでは?」という違和感を生む。
一つひとつは小さな違反だ。
けれど、それが積み重なってくると、「この人たちは他のもっと大きなルールも守らないのではないか」という漠然とした恐怖につながっていく。
最近では、移民申請を繰り返して滞在を続けるなど、制度のグレーゾーンを突いた行動が話題になることもあり、「仕組みが通じない人が増えているのでは」という疑念に変わるケースもある。
こうした感覚は、数回の取材や通りすがりではまず気づけない。
地続きの生活の中で、じわじわと感じる“見えにくい恐怖”なのだ。
だから、SNSの空中戦に意味はあるのか?
「治安は悪くなった」
「いや、そんなことはない」
このやりとりは、川口を知らない者同士が空中戦をしているようにしか見えない。
言い争う前にまず確認すべきなのは、自分が話している内容は体験に基づいているのか、それともネットで得た情報なのかという点だ。
たとえば、戸田市市会議員・河合悠祐氏の動画では、極端な意見ではなく、地元住民の素直な声が取り上げられていた。
「あ、それ自分も感じてた」と思うような話ばかりで、だからこそ信頼できた。
語るなら、まず川口の空気を吸ってからにしてほしい
川口の変化は、確かにある。
だがそれは、住んでみないと見えないし、感じられない種類の変化だ。
今SNSで語られている“治安”とは、統計や事件数では測りきれない、生活の中でじわじわと感じる不安や違和感の話だ。
それは一朝一夕で見えてくるものではない。
にもかかわらず、
「悪くなった」
「いや、悪くなっていない」
――どちらの主張も、多くが川口の外側から投げられている。
だからこそ私は、こう言いたい。
「悪くなった」と語る人も、「悪くなっていない」と語る人も、どちらも一度、実際に川口に来て、じっくりと空気を吸ってみてほしい。
できれば通り過ぎるだけではなく、朝昼晩の表情を感じ、住んでいる人の生活に目を向けてみてほしい。
それから語っても、決して遅くはないはずだ。
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そして、本気で川口の問題に取り組んでもらいたい。
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